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50周年ニュース

2015.09.25

小野清子さん記念講演要旨

 大阪体育大学50周年記念を皆様とともにお祝い申し上げます。半世紀という長き間に構築された歴代の先生たち、学長さんに改めて敬意を表します。

(1964年の)東京五輪は、私の年令からすると、とうが立っていたが「年令を重ねた人間は飛び抜けたことは出来ないが、確実に演技が出来る」などと言われ、2つ上の池田敬子先生と「少々年のいったところで頑張りましょう」ということになった。先が分からない中でもその気になれば人間の能力は、何とかいけるのかなと思った。

 メルボリン五輪(1956年)予選で私は平均台から落下して“見送る側”になってしまった。「平均台、平行棒で落下しないためにはどんな練習をしたらいいのだろう」。だれも教えてくれないから、自分で自分を叱咤激励した。大学(東京教育大=現筑波大=)を卒業した年にモスクワで世界選手権があり、選手として参加したが、一行のうち半分が食中毒で入院する羽目になった。世界は広いようでも、一人ひとりの個人、触れ合い、連携の中で成り立っていることも知らされた。この世界選手権の時には、ハンガリー動乱とぶつかり、模範演技をして収益を得て帰国する予定が狂い、シベリア鉄道でナホトカまで行き、船で函館に着いた。

 ローマ五輪(1960年)では、力道山さんが和服姿で大きな日の丸を振って応援してくれた。その時「日の丸ってこんなに素敵なんだ」と感動した。体操競技は、カラカラ浴場の仮設の台で行われた。ヴェラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア)が若手として台頭、ラリサ・ラティニナ(当時ソ連)の優秀な姿を見、アスタモア(同)という華麗な演技をする選手が出てきた時でもあった。

 歴史をお話ししているのは、どういう経過の中で今はどういう中にあるかということと、今後どうなっていくかということの方向性を読み違えると、どこへ行っていいのか分からない浮き草になってしまうからだ。

 外国では体力の違いを痛切に感じた。どうやったら日本人の体力が上がっていくのだろうか。大切なのは食べること、心肺機能を良く使って肺や心臓や循環器系を鍛えなければならない。そしてそれを支える筋肉の繊維を太くしていかなければならない。三つの原点を改めて認識しながらも基本はあくまで体だ。私たちは動物だ。静的な植物と違って動かないでいると筋繊維が細くなり、循環器系が萎縮して体力が減退方向に向かってしまう。体を動かしている中で、楽しく、気持ちよく、心身の交流を高めながら、新しい時代の体力づくりがなぜ必要かということを、子供たちや、これまで日本を支えてくださった高齢者の方々にも理解してもらわなければならない。体を動かしていくと筋繊維が栄養とマッチして若さがよみがえってくる。

 東京オリンピックが終わってから「体力づくり」という言葉が一般的に使われるようになった。それは選手としてあれだけ鍛えた日本人が最終的に体力がないために負けたという試合が多かったからだ。「体力づくり」という言葉の意味合いもどんどん変わっていった。ロサンゼルス五輪(1984年)で織田幹雄先生とご一緒でき、カール・ルイスの練習から「リラックス」ということを学んだ。体操競技ではザリアスカと言っている。日本語に訳すと充電作用ということになる。リラックスすることで、次のパワーを生む原点になるということを教わった。

 長い経験の中で最も心に残ったことは、ローマのカラカラ浴場で見たチャスラフスカ、ラティニナなど一流選手の練習に対するものすごい集中力。周りが全く目に入らない様子がよく分かった。そこまで自分をコントロールできるということが、平均台に上がった時の演技に出ていた。

 東京オリンピック・パラリンピックを始め、次に日本で行われる様々な国際大会、最近はマラソン大会が多くなったが、私たちはどういうことが提供出来るか。ニューヨークマラソンでは、沿道の「どうぞお手洗いをお使いください」の看板に大変感激した。大きな大会は一人ひとりでは何も出来ないけれど、一人ひとりの力が大勢の活力を生み出すということも教わった。

 スポーツは一部の若者の時代から、この世に生きている全ての方々の文化となった。新しいこれからの時代の文化だ。全ての方にとっていかに楽しく、気持ちよく、そして一人でも多くの知り合いを作り、生き甲斐のある、喜びのある人生に向かっていただきたい。「まず走ることから」ということはやめて、「まず歩くことから」始めていただきたい。21世紀に楽しい時間をたくさんお作りいただきますように、皆様の更なるご健闘をお祈りいたします。

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