所属するサッカー部では、高校2年生の夏まで、ずっとベンチ外だった。大学に入学してからも、Bチームで壁にぶつかり続けた。それでも三原拓也さん(スポーツ科学部3年、 徳島県立城西高校)は、逃げなかった。

ベンチから、偶然つかんだ最初の居場所
高校時代、なかなかサッカー部の試合には出られなかった。高校2年生の夏頃まで、三原さんはずっとベンチ外だった。
転機は、ある遠征の日に突然やってきた。炎天下の中、チームメイトたちが次々と熱中症で倒れていき、守備のポジションが空いた。準備していた三原さんに、出番が回ってきた。ヘディングと対人守備で、自分でも手応えのあるプレーができた。そこからやっと試合に出場できる機会が増えた。
チャンスは、呼び込むものじゃなく、突然やってくることがある。でも、準備していなければ掴めない。
その日、三原さんはそれを身をもって知った。
「この選手みたいになりたい」という、一本の軸
進路を考えるとき、三原さんの基準はシンプルだった。
憧れていたのは、大体大OBの菊池流帆選手だ。足元の技術で圧倒するタイプではない。泥臭く闘い続ける、その闘志あふれるスタイルが「自分に似ている」と感じた。こういう選手になりたい。だから大体大に行く。それだけだった。
一人で徳島を出ることへの不安もあった。それ以上に「伝統ある大学に進学できる」というワクワクと「結果を出してやる」という気持ちが上回っていた。

自分の武器すら、通用しなかった
けれど、入学してみると現実は厳しかった。スタートはBチーム。自分の武器だと信じていたヘディングすら、通用しなかった。Aチームで活躍している同学年を横目に見ながら、焦りと情けなさが積み重なっていった。
そして、大学1年生の9月頃、ついに限界が来た。
「親に高い学費を払ってもらってるのに、自分は何をやってるんやろう」
三原さんはスーツケースに荷物を全部詰め込み、徳島の親へ電話した。「もう帰る」と。しかしその日に限って、帰りのフェリーが全部止まっていた。帰る手段がなく、半ば諦めながらも、三原さんは再びグラウンドへ向かうほかなかった。
3メートルから、100メートルへ
踏みとどまった三原さんが前向きになったきっかけは、意外な場所だった。1年生の必修授業・水泳。水泳が苦手で、最初は3メートルしか泳げなかった。みんなが帰ったあとも、指導員や先輩の力を借りながら居残り練習を繰り返した。そんな日々の中で、100メートルを泳ぎ切った。
「泥臭くやれば、変えられる」。サッカーで見失いかけていた感覚を、まったく別の経験で思い出せた。
大学2年生の夏。遠征前夜、スマートフォンに届いたメンバー表に自分の名前を見つけた。Aチーム、スタメン。嬉しかった。それ以上に、「やっとスタートラインに立てた」という感覚が強かった。スーツケースを再び押入れにしまったあの夜から、ずっと積み上げてきた日々がやっと応えてくれた。
今もまだ、道の途中だ。プロをめざすという気持ちは変わっていない。帰れなかったあの夜があったから、今がある。
MESSAGE TO YOU
何かに挑戦したら、9割はうまくいかない。人のせいにして逃げるのは簡単だ。それでも自分にベクトルを向けて努力し続けたら、必ず一番大切な瞬間に報われる。「なるようになる」——どんな状況にせよ、自分に負けず自分を信じられる人が、夢を叶えられると思います。




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